お亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。また、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。
私は震災が発生してから約5か月後に初めて仙台市に行きました。
そのころの仙台市内は地面など舗装されていないところや、まだ修復できていない家屋がたくさんありましたが、出会う方々は起きたことを一生懸命に乗り越えてきて、今の現実を必死に受け止めるような言葉づかいが記憶に残ります。
笑顔はあるけれども瞳の奥に心の中に抱えている想いが出ていたように思います。
私は、被災地を見に行くために仙台に入ったのではなく、仕事の都合で仙台に入った為、そこに起きていることのほんの一部分、断片的な部分しか私は記述することが出来ません。
ただ被災地の、1本の高速道路を境に何もなくなった町、遠くにあるはずの海の香りがとても印象的でした。何も語ることのできない沈黙の中で、津波の脅威を目の当たりにしたように思います。
ですが私がその地を見たときはまだ名残があるものの約半年もの時間が経過していたため大分整備されていたように思います。
それから定期的に仙台へと入ることがあり、行くたびに復旧されていく町があり、時間とともに震災の話題がすくなくなってきているような感じがしていました。
● 必要なものが報道されない現実
必要な情報は何か、報道すべき情報は何かということから始まるかと思います。
情報にもよりますが、知りたくない方もおられるかもしれないし、知りたい方もおられるかもしれない状況の中で、必要な事実を伝えることというのは大事なことだと思います。
当時報道されていることは嘘ではないし、間違った内容ではありません。ですが被災地でどういった事が今必要とされているかは私にはわかりませんでした。話を聞いていく中で、耳にしたことが印象的なことがあり、そのひとつについて考えてみたのは大事な何かを見せずにして報道される意味はなんなんだろかと思います。
悲しみに覆われている家族やまたリアルな現状を映すために遺体をメディアにのせるという意味ではありません。
悲しみに覆われている家族やまたリアルな現状を映すために遺体をメディアにのせるという意味ではありません。
物資がなく困っているなどは幾度となく放送されていることに対して、震災直後から人の為に尽くし続けていた方たちは震災発生後かなりの日数がたった時からしか知ることができませんでした。
本来、地元の方達が優先すべき家族、友人の安否など知ることができないなか、また被害にあってしまった事が確認できたなかでも、家族のそばにいてあげることも出来ず、懸命に人の為に尽くし続けている事はどのメディアを見ても知ることができなかった事はなぜなんだろうと思います。
後になってから、終わったこととしてたくさんの書籍や、情報として出てきていることはとても残念に思います。
後になってから、終わったこととしてたくさんの書籍や、情報として出てきていることはとても残念に思います。
本来であれば地元の方達ではなく、何時もの日常を過ごせるかたが、人の為に尽くすべき事なのに、真っ先に向かったのは一個人であり、ボランティアの方々であり、何の見返りも求めていない方達ばかりだったのではないでしょうか。
ありきたりな情報よりも、優先すべき情報が他にあったのではないかと思うととても残念に思います。
ただ私の知っていることは、この地震の影響でさまざまな思いをもっている方のほんの一部の方の話でしかありません。何を望み、何を願っているかは本当にさまざまで、そこに暮らす方々の思いを私は知る術もなくいることには間違いなく、こういう記事を投稿すべきか悩みましたが、今私が生きているこの時の思いをつづることでまた誰かが私と違う意見にしても、何かをまた考えてもらえたらとおもい投稿しました。
いつまでも忘れることのないように。
ただ私の知っていることは、この地震の影響でさまざまな思いをもっている方のほんの一部の方の話でしかありません。何を望み、何を願っているかは本当にさまざまで、そこに暮らす方々の思いを私は知る術もなくいることには間違いなく、こういう記事を投稿すべきか悩みましたが、今私が生きているこの時の思いをつづることでまた誰かが私と違う意見にしても、何かをまた考えてもらえたらとおもい投稿しました。
いつまでも忘れることのないように。
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