2013年7月12日金曜日

幸せを求める思考法

幸せとは何でしょうか。どういう場面でも争いは起こってしまいますが、お互いの幸せを理解できることで、協力的にできたり行動パターンも変化していくと思います。
人それぞれの幸せの形があるということを理解できないことで、知らず知らずのうち傷つけてしまい、またお互いにいやな思いをしてしまっているのではないかとおもいます。

人それぞれ幸せと思える到達地点は千賀と思います。「今日は何もなくてよかったね」と無事を喜べることで十分幸せなのではないかと思えることもとてもすばらしいと思います。
それぞれ望む幸せの形は違うけれど、人が欲求として段階を踏んでいく中での説明でとてもおもしろいと思えるものがあります。それはマズローという心理学者が唱えた『5段階の欲求階層説』というものです。

幸福とは何かという定義をするのに、アブラハム・マズローという世界的心理学者が提唱した「5段階の欲求階層説」が便利で分かりやすい。

5段階の欲求階層説


アブラハム・マズロー(1908年~1970年 A.H.Maslow アメリカの心理学者)は,彼が唱えた欲求段階説の中で,人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の欲求が満たされると,1段階上の欲求を志すというものです。

 

人間には5段階の欲求があると考えられ、その中には動物的な低い本能のような段階のものから、人間に相応しい高い段階のものがある。

低い段階の欲求ほど、欲求度合いは強く、生きていくうえで不可欠な内容のものが多い。
当然、多くの人が叶えていることになり、段階が上がるにつれ欲求をかなえるためには、人間らしい理性的努力が必要になると考えられている。低い段階の欲求から順に述べると、次のようになる。




(1)生理的欲求

生命維持のための食事や睡眠、そして排泄等の本能的・根源的な欲求のことをいい、
現代の日本においての社会レベルで考えると、衣食住が整うというような内容になる。

(2)安全欲求

安全に生活できること、また経済的安定性や健康状態の維持も含まれ、普通の暮らしの水準、事故防止、保障の強固さなど、予測可能で秩序だった状態を得ようとする欲求のことをいい、また病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットなども、これを満たす要因に含まれる。
簡単に言えば普通に生活をしたいという欲求であり、また殺されたり、危害を加えられる恐れがない事を望む内容になる。

(3)所属と愛の欲求

他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚の欲求であり、家族や、職場等のグループに所属し、その中で受け入れられられたいという欲求であり、この部分が満たされないと、心理的に病んでしまい、鬱や、精神的にアンバランスの状態となりうる可能性のある欲求である。

(4)尊重の欲求

いわゆる自尊心で、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求であり、尊重のレベルには二つあるといわれる。

低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができるといわれている。
しかしマズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。

高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される傾向がある。
この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。

(5)自己実現

自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。前述した、4つの欲求がすべて満たされたとしても人は自分に適していることをしていない限り、すぐに新しい不満が生じて落ち着かなくなってくるといわれている。
簡単に言えば本当にやりたいことが出来るようになることである。


以上が、マズローが定義した『5段階の欲求階層説』であり、今回のブログには基本的な考え方にしか触れてはいないので興味をもたれたかたは調べてみるととてもおもしろいものかもしれません。部分的には批判的な意見などもあるが、広く受け入れられている学説である。

誰が見ても、そんなに違和感は感じないのではないかと思う。
そして、ほとんどの人は、正しい努力をし、なおかつ、人間性を高めれば、叶えることが出来るか、少なくとも、叶う確率を高められると思っているに違いない。

現在の日本では全ての人がといえる状況ではないにしても、大抵の方は低い方の2つは叶っていると思える。ほとんどの方は3つ目の欲求までで満たされるまたは満たすために努力している方がほとんどかもしれないが、逆に2つ目の部分で幸せを感じれる方もいれば、また逆にそれ以上の欲求を望む方もいる。

そういう環境の中であれば、やはり仕事に対する意識の違いなども歴然と出てしまい、自分が前者であれ後者であれお互いのことを理解しようとしないことには到底受け入れることが出来ない状況に陥る。個人の問題であれば、どこに目標を置こうが指図できるものではないが、やはり人それぞれの望む幸せの形は違うのだから、それを理解しないとお互いが幸せになることはできないのではないのでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿