最初の頃は感じていたはずのあの良心はいったいどこへ向かうのか。
最初はほんの身近なちょっとした失敗や、反省すること、『ついやってしまった』とか『うっかりしてた』とかからはじまり、最初の良心は薄れていき、次第に心は変わっていきます。
もともとある企業からの分社や、税金に対策を目的とした企業でなければ、まして起業する人がもともとそういう意識で起業することはないと思います。『すこしだけ』や『ほんのちょっとだけだから』や『まぁいいか』というような、小さな過ちや違反をくりかえしていくことになります。
人はいきなり、悪いことや、犯罪や不正、不祥事を犯すわけではなく、小さな積み重ねの中でちょっとした過ちや違反が習慣化してしまい、『いつもどおりだから大丈夫』と発展してしていってしまいます。またそこに勤める従業員も慣れで当たり前に要求できることも何も言わなくなってしまいます。
何度も何度もくりかえすなかで、『いけないことをしている』とか『しなくてはいけない』という感覚が薄れてしまい、あたりまえになっていってしまい、『いつもと同じだから』とかという事実が、自分が感じていた良心、疑問に思うあの気持ちを忘れさせ、間違ったことをしているという感覚を忘れさせてしまいます。
次第にしなくてはいけない事に対する感受性が麻痺していくなかで、時には重大な事故や事件につながる可能性があるのです。
「少しずつ、少しずつ」が引き起こす異常な事態
国の管理規定に沿った形だと厳しい事があり都合のいいように変えていく。少しずつ、少しずつ、経営者や管理職がやりやすいように変えていくのです。
すると、どうなるのでしょうか?慣れてしまい当たり前のことを要求する人を悪者扱いにしていきます。
人間誰でも、多かれ少なかれの差はあるにせよ、最初は良心の呵責をもっています。
でも、 「いままでもこの方法でやってきて、大丈夫だったから」 、「以前から、このやり方で、何ら問題も起きなかったから」というように、わからないだろうとあたかもそれが正規の事であるかのように、市民権を得てしまうのです。
一度に大幅な変更をすることはさすがに憚られても、「少しずつ少しずつ」の変更であれば、「少しずつ少しずつ」慣れていき、人は順応していくのです。
少しずつ少しずつストッパーがはずされて異常な事態を引き起こすパターンです。
確かに形式にとらわれたらよくないなどのことはあるかもしれないが。十分請求
現実の作業を考えたときに、あまりにも効率が悪く、利益が残らないなどを理由に、もう少し都合のいいようにもっていこうとしていきます。ひとつずつストッパーをはずしていくと・・・最後には、とてつもなく異常な状態の風土が会社に残ってしまうのです。
そしてその事実に、「おかしい」と気が付くことができても発言できないという現実。
「いつもどおりだから」という感覚が、経営者に「大丈夫」という安心感を生み、その結果、何もよくならない会社が存続していってしまいます。
「何かおかしいぞ」と声をあげることの大切さを、いまいちど認識していただけたらと思います。
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