前回、私は学力低下は見受けられないという答えを出していますが、少なからずの問題が起きているのも事実なのかもしれません。その問題を『学力低下』というのならば簡単に学力低下で片づけてしまってよいものなのでしょうか。
もともとの目的は詰め込み型の教育方針からの脱却であり、個人の能力を最大限に伸ばせる機会を設けようというのが目的であった。
そもそもの目的は、従来の教育方針を批判的に知識重視の詰め込み教育と呼ばれ、要は先生が言ったことをよく聞き、教科書の内容をよく覚えていることを良しとする教育方針であり、ひたすら受験勉強的な知識の詰め込みが余裕を無くしてしまい学生の自主性をなくしてしまっているのではないかという発想から、その詰め込み教育からの方向転換で、教える内容等を厳選し、学生たちが自主的に学べる環境をつくり、子供たちが自分自身で物事を考える力を育て、生徒の考える力を養おうと考えられ独創性のあるような分野での活躍を期待されたのが『ゆとり教育』登場の経緯です。
その中で行なわれた施策として授業時間の3割削減、総合的な学習時間を設けるなどが行われていき、その中でも、大きく変わったのが週休2日制の導入です。ですが、授業時間の3割削減、総合的な学習時間の有効的な活用が実施されなかったことが今の状況を作りだしている可能性があります。
まず、前回において国際的な学力を調査する機関によるデータをあげましたが、学力低下と結びつけるには不十分といいました。
実際の現場での、基礎学力が疑問視されている内容なども見受けられ、それも本当なのだろうと思います。
その原因として、知識重視の詰め込み教育をないがしろにした結果であるということは間違いないと思います。
ですが当時の教育については、個人の発想などを尊重されない環境というのも嘘ではなく、ゆとり教育ということが掲げられてからというのも「落ちこぼれをなくそう」「個性を尊重しよう」というスローガンから始まった『ゆとり教育』は、競争や順位づけを極端に嫌い、通知表も相対評価から絶対評価に変わりました。そういった環境により、「ゆとり世代」と呼ばれる彼らは、日本中が「競争」や「順位」に対して過剰に拒絶反応を示すようになってしまったのです。
ですが当時の教育については、個人の発想などを尊重されない環境というのも嘘ではなく、ゆとり教育ということが掲げられてからというのも「落ちこぼれをなくそう」「個性を尊重しよう」というスローガンから始まった『ゆとり教育』は、競争や順位づけを極端に嫌い、通知表も相対評価から絶対評価に変わりました。そういった環境により、「ゆとり世代」と呼ばれる彼らは、日本中が「競争」や「順位」に対して過剰に拒絶反応を示すようになってしまったのです。
ゆとり教育に対する理解はどこへ
「完全週休5 日制の下、各学校が「ゆとり」のなかで「特色ある教育」を展開し子供たちに学習指導要領に示す基礎的・基本的な内容を確実に身につけさせることはもとより、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」をはぐくむこと」とあり、生徒の自主的な行動を尊重しようとゆとりある時間を設けたのですが結局、勉学に努めることに時間を使うのではなく自由になった時間をテレビを見る時間やゲームする時間に使ってしまったことが原因という論文なども出ており簡単に言えば娯楽に使ったと考えられる部分もありますが、学力低下と批判することには疑問が残る部分もあります。
というのも、ゆとり教育は「自分で考える」「自分で調べる」といったことを重視している為、言われたことを正確に行う「詰め込み教育」に対し、ゆとり教育は問題点を自分で考え、場合によっては答えのない問題に挑む「科学者」に通じる特性をもつものとかんがえられます。
そのため、遠回りではあるし、教科書の内容をほぼそのまま問われたり「途中の計算プロセス」に対する加点のない全国模試のようなテストの成績は当然低く出る可能性はあるのではないでしょうか。客観的数値であるテスト結果が悪いのだから『学力低下』に観えるが、詰め込み型教育の成果を測るためのペーパーテストをゆとり教育に流用し、それを基に検証してしまっているのだから、その批判はお門違いとも思えます。
ゆとり教育の評価を行うにはゆとり教育に応じた評価の方法・手段が必要
では、どのようにゆとり教育の成果を評価するのかということが問題になってきますが、これはかなり難しい問題なのかもしれません。ペーパーテストであれば「平均点」などわかりやすく、客観的証拠が存在しますが、ゆとり教育には何があるのでしょうか。
たとえばですが・・・・
生徒がそれぞれ、どれだけがんばって調べたり考えたりしたのか、担任の先生は知っているかもしれませんが、それを学校や教育委員会に対してどう伝えるのでしょうか。
担任の先生が、社会科見学を学生たち自身で計画して行なったことや、それを活かしてどのような議論が行われたかなどをレポートとして提出することは出来るかもしれませんが、その内容は「テストの平均点」ほど客観性のあるものではなく、まして「優劣」などつけようもない可能性が非常に高くなります。
そのクラスが、さらにはその学校が、ちゃんと『ゆとり教育』を行なっているのかを評価する方法が確立されていないということに問題があると思います。
評価する方法がないことをいいことに、教師、さらには学校レベルでサボって単に教える量を減らしてしまったとしても、それが明るみに出る可能性は低いですし、ゆとり教育を全国的に導入したとき、真面目に『ゆとり教育』を行う学校ばかりではなく、むしろ単に授業量を減らして終わりにする学校の方が多かったのだろうではないかと思います。
まじめに学校に通っているにもかかわらず、高校で取得すべきたんがとれてませんでしたなどのニュースもありましたが、そうしたサボり学校によってなされた教育こそが、その世代で育った人間を批判やバカにされる理由としている、まちがった『ゆとり教育』なのではないでしょうか。
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