2013年7月9日火曜日

ゆとり教育が問題ではなく、ゆとりのない社会が問題だと思う 5 私が考えるゆとり教育

私が考えるゆとり教育


①ゆとり教育と呼ばれるものの理念自体は間違っていない
②下支えがある社会が必要になるが、「ゆとり」の教育も必要
③子ども達は「わかった」と思えることを希求している。
④総合学習は現在の不透明な社会を生きていく子にとって、とても大事なな部分を見つけ出せる機会がある。
⑤見える学力では光の当たらない、子どもの違った側面、さまざまな潜在能力を引き出せる可能性がある





ゆとり教育にしろ、詰め込み方の教育にしろ良い面があって、悪い面がある。その両方の良い所をとり、よりよい教育を目指す考えには至らないのだろうかと、「ゆとり教育」をテーマで調べながらの投稿しいくなかで、思う場面が多々あった。
学力低下を理由に、ゆとり教育を否定的に言われているかたも多く、また論文等、書籍なども出回っています。実際影響がないわけではないだろうが、見えない学力は排除し、今までの詰め込み式学習のほうがよいといった形に、ゆとりはいらないから勉強させようという意見は少し行きすぎのように思えます。

確かに良い結果をうんでいない面もあるが、ゆとり教育の恩恵を受けている者たちも存在しているという事実も存在している。そこに目を向け、いい所は残し、悪い所は改善するべきである。

それが国レベルの内容であるならば、なおさら慎重にかつ確実に行わなければならないし、また教育改革がおよぼす社会全体への影響の大きさを改めて認識させられた。また教育制度の改革した事によって、子どもへの影響はとても大きく、学校の制度を変える事は、子どもの生活までも変化させてしまっているのも事実で、それに対しての大人の社会の順応性が低いがゆえに起こった問題が多いと感じる。子供たちのいまの一般的な生活時間などを見てもらえればなんとなくわかるのではないでしょうか。
空いた時間を子供任せにし、学校へまかせきりにし、保護者と子供がさまざまなことを一緒に探求できる機会がなさ過ぎているのではないかと感じる。
そのためには、子供だけでなく、社会に出ている大人たちにもゆとりが持てる環境が必要で、今のように全てではないが、長時間での労働を行わなければ生活が出来ないような環境では、さすがに休みの日は大人たちは休んでしまう。また中小企業にいたっては週休2日どころの状況でないのは誰もが理解できるのではないでしょうか。
将来の日本を担う子ども達のためにも、我々大人がすべきことは批判ではなく、できる事をするべきであるし、教育改革に携わるならばその事を一番に考えて政策を打ち出さなければならないのではないのでしょうか。

人間としての「ゆとり」を求めたゆとり教育は、ゆとりを生みだしたのかどうか。まず社会全体も変わらなければ、教育なんて事に到達するのは到底無理で、その答えは、はっきりとうみだせたとは言えない結果になったように思える。
教育とは時代とともに変化し、時代に合わせて進化していくべきだと思うが、そのためにはその時代その時代をしっかり見つめ、その時代の子ども達を見つめ、本当に意味のある教育改革を行うならば社会全体の改革が必要が必要と感じる。

ゆとりのある社会がゆとりのある教育を行うことが出来る。


教育の対象となる子ども達は将来を担う人材である事は間違いなく、その将来を担う子ども達に対して、将来の社会を明るいものとするような教育改革がなされることを期待したい


ゆとり教育が問題ではなく、ゆとりのない社会が問題だと思う 1 経緯

ゆとり教育が問題ではなく、ゆとりのない社会が問題だと思う 2 ゆとり教育の現状・内容

ゆとり教育が問題ではなく、ゆとりのない社会が問題だと思う 3 学力低下は証明できない。

ゆとり教育が問題ではなく、ゆとりのない社会が問題だと思う 4 どんな影響があったのか

イクメンの障害、パタハラとゆとり教育の関連性

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